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ストックホルムの自転車利用状況

スウェーデンの首都ストックホルムは、自転車利用の推進に非常に意欲的な目標を掲げています。 しかし、その一方で、実際の利用状況を見てみると、ヨーロッパの他の先進的な自転車都市と比べて、その利用率はまだ控えめな水準に留まっているのが現状です。

実際にストックホルム市内を2025年7月に走った印象は非常に自転車インフラは整備されていて走りやすかったです。デンマークと比較すると、幅が狭かったり、交差点で急に曲がりくねっていますが、おおむね良好でした。
ストックホルム市を出て隣の町に行くと、自転車レーンが急に途切れたり、反対車線にしかなかったりと未整備な部分も頻繁にありました。

まず、「モーダルシェア」、つまり交通手段全体のなかで自転車がどれくらいの割合を占めているかを見てみましょう。ストックホルム市内のすべての移動において、自転車が使われる割合は、調査によって6%から「10%強」と少し幅がありますが、決して高い数字とは言えないようです。 ところが、これを「通勤」という目的に絞って見ると、その割合は16%にまで上がります。 さらに平日のラッシュアワーには、市内の全移動の15%が自転車によるものとなり、通勤の足として自転車が重要な役割を担っていることがわかります。

このように割合だけを見ると伸び悩んでいるように見えますが、実は、自転車を利用する人の「絶対数」は驚くほど増えているのです。 これは市の政策が、ある面では成功していることを示していると言えるでしょう。特に、市の中心部へ向かう自転車の交通量は、この20年間で2倍以上に増えました。 具体的な数字を挙げると、2000年代初頭には1日あたり4万人未満だった交通量が、最近では7万2900台以上にまで着実に増加しているのです。 市の居住者全体では、1日に推定で約20万回も自転車が利用されている計算になります。

こうした状況に加えて、近年では新しい乗り物も登場しています。坂道の多いストックホルムの地形も手伝ってか、電動アシスト自転車の利用が伸びており、自転車利用者の10%から15%が使用していると推定されています。 また、街中ではシェア型の電動キックボードも数多く見られるようになり、自転車と同じインフラを利用する新たな存在となっています。

では、なぜ「利用の割合」は伸び悩んでいるのに、「利用者の数」は爆発的に増えているのでしょうか。 この一見、矛盾しているように見える現象を解くカギは、ストックホルムという都市の成長にあります。まず、ストックホルムの人口そのものが急速に増えているため、各交通手段は利用者の数を増やさない限り、現状の割合を維持することすら難しいのです。 その上で、自転車の利用者数は、人口の増加を上回るペースで増えている。これが、絶対数が増加している理由です。 それでも全体の割合が大きく伸びない背景には、ストックホルムでは、世界的にも非常にレベルの高い公共交通機関が発達しており、また歩行という手段も強力な選択肢として確立されているという、特有の事情があるのです。

ストックホルムの自転車政策

ストックホルム市が自転車利用について、どのような設計図を描いているのか、その政策を見ていくことにしましょう。市の交通政策の根幹には、「交通戦略」と呼ばれるものがあります。 人口が増え、ますます高密化する都市において、限られた道路という空間を最も効率的に使うにはどうすればよいか、という考えがその基本となっています。

その答えは明快です。単位面積あたりで、より多くの人を運ぶことができる交通手段、いわゆる「高収容能力」を持つものを優先する、というものです。 この原則に基づき、市は交通手段に明確な優先順位を付けています。一番が「歩行と自転車」、二番目が「公共交通」、三番目が「業務用の輸送」、そして最後が「自家用車」という順番なのです。 自転車は、歩行や公共交通と並んで、街の重要な交通手段として明確に位置づけられています。 交通戦略の中では、ストックホルムがコペンハーゲンやアムステルダムといった都市と肩を並べる、ヨーロッパ有数の自転車先進地域になるという、非常に野心的なビジョンも掲げられています。

この戦略をさらに具体化したものが「自転車計画」です。 特に2022年に改訂された計画では、市の考え方に大きな転換が見られました。 それまでの計画が主に「通勤利用」に焦点を当てていたのに対し、新しい計画では、通勤・通学はもちろん、買い物や子供の送り迎え、レジャーといった、より幅広い「日常利用」へとその視野を広げたのです。

この計画は、いくつかの具体的な目標を定めています。まず主要な目標として、自転車に乗ることをもっと簡単で安全なものにし、利用者数と利用率の両方を増やすことを掲げています。 数値目標としては、2030年までにピーク時間帯の全移動の少なくとも15%を自転車が占めるようにし 、将来的には2040年までに市内の全移動の25%を自転車が担うという、長期的なビジョンも設定されました。

こうした考え方を実現するための新しい試みも始まっています。その代表例が「自転車通り」の導入です。 これは、物理的に自転車道を分離するのが難しい市街地などで、自動車が自転車の速度に合わせて走ること(最高時速30キロ)を義務付けることで、自転車が優先される空間を作り出すというものです。

もちろん、計画だけではありません。一貫性のある自転車ネットワークを整備するための投資が毎年続けられていますし、 案内標識の改善、路面の質の向上、そして特に北国の都市で重要となる冬の間のメンテナンス、さらには安全な駐輪場の増設といった、利用者の安全性と利便性を高めるための地道な取り組みも進められています。

このように、ストックホルムの自転車政策は、単なる交通問題としてではなく、持続可能な都市開発、気候変動対策、市民の健康増進、そして魅力的な都市生活の創造といった、市のより大きな目標と密接に連携しながら進められているのです。

電動キックボードに押される自転車

これまでストックホルムの自転車利用者が増えているという話をしてきましたが、ここで少し視点を変えて、自転車市場そのものと、街の風景を大きく変えた新しい乗り物について見ていくことにしましょう。

ストックホルムは電動キックボードの先進都市とも言えます、2018年、スウェーデン発のスタートアップVoi Technologyがストックホルムでサービスを開始し、現在ヨーロッパ市場はDOTT、LIME、VOI、BOLTの4社が主要プレイヤーです。

まず、意外に思われるかもしれませんが、スウェーデン全体で見ると、新車の自転車の販売台数は大きく落ち込んでいるのです。 市場のピークは2015年で、この年には約60万台の自転車が売れました。 ところが、2023年にはその数は約35万台と、ピーク時から4割以上も減少してしまったのです。 この落ち込みは、主に従来型の自転車の販売不振によるもので、電動アシスト自転車の販売台数は比較的安定しているものの、市場全体の縮小を補うまでには至っていません。

表1:スウェーデンにおける年間自転車販売台数(2014年~2024年):総数、従来型、E-bikeの内訳

総販売台数 従来型自転車 電動アシスト自転車 (E-bike)
2014 585,000 573,000 12,000
2015 598,000 568,000 30,000
2016 576,000 531,000 45,000
2017 551,000 484,000 67,000
2018 533,000 430,000 103,000
2019 522,000 436,000 86,000
2020 546,000 450,000 96,000
2021 460,000 370,000 90,000
2022 433,000 339,000 94,000
2023 341,000 242,000 99,000
2024 333,000 234,000 99,000

では、自転車が売れなくなる一方で、街には何が登場したのでしょうか。それが、2018年頃から急速に普及したシェア型の電動キックボードです。 ストックホルムは、まさにその中心地となり、ピーク時には市内だけで2万台を超える電動キックボードが存在したと言われています。 規制が導入された現在でも1万2000台が稼働しており、 その手軽さから、短距離の移動手段としてすっかり定着しました。これは、まさにこれまでシティサイクルが担ってきた役割と重なるものです。 実際に、自転車の販売台数が大きく減少し始めた時期は、この電動キックボードが爆発的に普及した時期と一致しています。

実際に2025年7月21日 月曜日平日 にストックホルム市内の道路で通行数をカウントしたところ、自転車111台に対して、電動キックボードが50台。2:1の割合でキックボードが使われていました。

1か所に60台以上並ぶ市内のポート

こうした新しい乗り物の登場は、利便性をもたらす一方で、新たな問題も生んでいます。それが事故の増加です。 スウェーデンの交通統計では、まだ自転車と電動キックボードを明確に区別したデータが少ないため、断片的な情報からの推測も含まれますが、 見えてくるものがあります。

ストックホルム広域の病院や警察の報告によると、交通事故全体のうち自転車が75%、電動キックボードが25%を占めているようです。 また、スウェーデン運輸省のデータでは、ストックホルム県内での電動キックボードによる負傷者数は、2023年から24年にかけて46%も増加しました。

全国的に見ても、電動キックボードが関与する人身事故は急増しており、2019年には年間800件弱だったものが、2023年には3,400件以上にまで膨れ上がっているのです。
2024年はスウェーデン全国での電動キックボード事故件数が前年比30%以上増加。運輸庁は個人所有車両の増加が原因と示唆していますが、実際に街を見ていると95%はシェア電動キックボードが走っています。
死亡者数は2024年に明確に分けられているものがあり、自転車26名、電動キックボード5名で、16%が電動キックボードです。

これらのことを総合的に考えてみると、次のような姿が浮かび上がってきます。自転車レーンといった空間を利用する人の総数は、確かに増えているでしょう。 しかし、その増加の主な要因は、自転車ではなく電動キックボードの利用者である可能性が高いのです。 そして、それに伴って、自転車の事故数は横ばいであるのに対し、電動キックボードの事故が急増している。 ストックホルムで自転車利用が増加しているという話の裏側には、こうした乗り物の構成変化という、複雑な実態があるようなのです。

自転車インフラの状況

これまでストックホルムの自転車政策や利用者の数を見てきましたが、ここでは人々が実際に走る「道」、つまりインフラがどうなっているのかに目を向けてみましょう。そこには、大きな可能性と同時に、課題も見えてきます。

まず、その規模ですが、ストックホルム市には総延長で約1,170kmにも及ぶ広大な自転車道ネットワークが存在します。 このネットワークは、市を越えて郊外とを結ぶ幹線道路から、市内を網の目のように走る主要な道、そして地域の中の細かな道まで、役割に応じた階層構造になっています。 ただし、その質は一様ではありません。縁石などで物理的に車道と分離された安全な「自転車道」もあれば、道路に線が引かれただけの「自転車レーン」もあり、利用者が感じる安心感には大きな差があるのが実情です。

そして、このネットワークが抱える最大の弱点が、その「断片性」です。 せっかく快適に整備された質の高い自転車道も、ある場所で突然ぷつりと途切れ、利用者はインフラのない一般道に放り出されてしまう。こうした「ミッシングリンク」と呼ばれる問題が、ストックホルム市郊外では至る所に存在しているのです。

市内の自転車ネットワークの約45%が、こうした「ミッシングリンク」で構成されているとさえ指摘されています。

しかし、課題ばかりではありません。ストックホルムのインフラには、世界に誇れる強みも存在します。 その代表格が、冬の間の高度なメンテナンスです。 「ソップサルトニング」と呼ばれる、路面の掃き掃除と塩の散布を組み合わせた方法を主要な路線で重点的に行うことで、凍結を防ぎ、冬でも安全に自転車を利用できる環境を整えています。 この取り組みによって、冬の自転車利用者は大幅に増加しました。

その他にも、公共交通との連携を促すための駅周辺の駐輪場の整備や、 イェートガータンという通りで車線を減らして幅の広い自転車道を創設するといった、先進的な試みも行われています。 このプロジェクトは利用者の満足度を高めるという成功を収めており、道路という限られた空間を自転車のために再配分しようという、市の意欲の表れと言えるでしょう。

ストックホルムの自転車利用の未来

ここまで、ストックホルムの自転車利用を様々な角度から見てきました。意欲的な政策、増え続ける利用者の数、そしてその裏にあるインフラの問題や新しい乗り物の登場。では、これらの情報を踏まえて、ストックホルムの自転車利用は今後どうなっていくのでしょうか。

「光」の部分は、市の掲げる高い理想です。自転車を歩行や公共交通と並ぶ最優先の交通手段と位置づけ、コペンハーゲンやアムステルダムと肩を並べるという野心的な目標を掲げています。実際に、市の中心部に向かう自転車の数は増え続け、冬の間の優れたメンテナンスや、道路空間を自転車のために作り変える先進的な試みも行われています。

一方で、「影」の部分も存在します。全体の交通量に占める自転車の割合は、他の先進都市と比べて依然として低いままです。さらに、スウェーデン全体で自転車の販売台数が落ち込み、代わりに急増した電動キックボードの事故が新たな社会問題となっている現実もあります。

この複雑な状況を読み解く上で、無視できないのが「電動キックボード」の存在です。自転車レーンを走る人の数が増えているという「数字上の成功」は、実はこの新しい乗り物の普及に大きく支えられている可能性があります。これは、手軽な移動手段が増えたという点では成功と言えるかもしれませんが、従来型の自転車利用者の減少や、新たな事故の増加という代償を伴っているのかもしれません。


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